サイエンスは布石

2019年8月2日

 

 

サイエンスとなる最後のクラスがDNA3でした。

 

このクラスは自分に備わっている能力を緊急のときに愛をもって発揮できるように

自分自身を知り、

自分のエレメント(地、水、火、風)を理解し、

緊急時の救急箱としての役割を持つクラスです。

 

”不可能を可能にする”ためのビリーフワークをたくさんするけど、

それが目的ではありません。

 

2ヵ月ほど前にモンタナに来て

ひとクラス終えて次のクラスに進むにつれ

ビリーフワークをすることで思考が軽くなることはもちろんあるんだけど

 

その思考を手放すときの喜びを共有する度に心がつながり始めて

それがあちらこちらで起こっていて

喜び合える人が目の前にいてくれる幸せや

どんどんここの空間を包み込んでいく感覚を何度も味わいました。

 

それからお昼休み時間に輪になってそれぞれの国の踊りを披露して盛り上がったり

 

言葉がほぼほぼ通じないし、何らかの理由で写真を一緒に取れなくとも

手を重ねることですべてが伝わったりして

 

違ったままそこにいていい

違うからこそ素晴らしい

ありのままでいい

ありのままでゆるされている

違いは問題じゃない

 

こんな感覚をいつの間にか細胞のひとつひとつが感じていたと思います。

DNA3のプラクティショナークラスを受ける時、

私に優れた能力があるのか⁈

できるかできないかがはっきりするようですごく怖いクラスだと感じてました。

 

けれども今はできるできないという視点を否定はしないけど

それに苦しむことではないと思うし

 

できることが個性になるように

できないこともまた個性なんだなと思えます。

 

言い換えれば自分と自分以外の違いを感じるもので、

ひとつの視点、一つの側面に過ぎないような気がしてます。

ただそうあるだけです。

 

いろんなものがクリアになって

国や宗教や肌の色や性別、年齢などなど

枠を超えて

 

ただ この瞬間 今 目の前の人と分かち合う

 

それがどれほど魂を震わせられることか…

 

 

 

アナトミーが終了してマスターの盾をもらうために

名前が呼ばれてヴァイアナさんの隣に座った時なぜか涙が出てしまったのだけど

 

サイエンスのときは

すっきりと晴れやかな気持ちでヴァイアナさんの隣に座ってました。

 

最後に

サイエンスを手にしても

”私はわたし”と思えたことが何よりうれしい。

 

何かを得たから私があるんじゃなくて

何があってもなくても

“私はわたし”

 

あるがままの私を日々笑いながら時には苦笑いしながら

胸を張って楽しんでいけばいいじゃないかって思えたこと。

 

今がスタートライン。

どんな巻物を持っているかじゃなくて

その巻物を使ってどのように人生をクリエイトしていくか

そのほうが大事なんだよね。

 

今の気持ちをずっとずっと忘れずにいたいと思っています。